どうすれば年収が上がる?私たち夫婦の例を紹介

西山はるか
私たち夫婦は今でこそ一軒家に住んで猫まで飼えていますが、数年前は極貧生活でした

どうも 最近猫を飼い始めた明後日ハルカです。

https://twitter.com/hitsuji_kaitai/status/1404213111381389316?s=20

先日ペットショップで抱っこした時にハートを射抜かれ衝動的に飼ってしまいました。(嫁の金で)

 

衝動的とはいえ猫を飼うのは子供の時からの夢で、28年かけてやっと叶えることができたなと感無量です。

(子供の頃私の両親はペットが大好きすぎるが故にペットを飼ってくれませんでした。死に別れが辛いんですよね。)

 

なぜ28歳の今までペットを飼えなかったといえば、答えは単純明確。

私にペットを買えるだけの経済力が無かったからです。

今回猫ちゃんを購入したのは嫁でしたが、2匹目を飼うときは私が全額支払いたいなと思っています。

そんなことが言えるくらいにお金に余裕が出てきたのがここ最近、28歳の時だったのです。

 

新卒として社会に出た当時は本当に毎日お金に困っていました。

大学生の時の私は

「自分は多分売れっ子声優になって年収1000万円になるんだろうな」

と本気で思っていたのですが、実際大人になってみると年収は200万円未満。声優になるどころか親のスネをかじらないと養成所すら行けないごく普通の…いや、普通以下のダメ人間になっていました。しかも養成所のオーディションにも落っこちたのだから目も当てられません。

そんな自分がここまで収入を安定させることができたのも、堅実に年収を上げてくれた嫁がピンチの時にいつもお金を貸してくれたおかげです。

漠然と「どうやって年収って上がるんだろう」と疑問や不安を抱えている人、ぜひ私たちのたどってきた道のりを参考にしていただければと思います。

 

※ちなみに「保護猫なら無料じゃん」と思うかもしれないですが、実は保護猫って条件厳しくて簡単に飼えないんです…泣

 

私たちのスペック

私は現在IT企業に週5で派遣されながらフリーの声優・ナレーター業をしており、月収は40〜50万円ほどです。

稼ぐ額はある程度高いのですが、たまに働くのに疲れて1〜2ヶ月何もせず無収入になることがあります。だから年収は割と普通。

 

嫁は中小のIT企業で正社員として週5で働き、月収45万円ほどと、女性がお金を稼ぎにくいこの世の中においてイレギュラーな額を家に納めてくれています。

 

そして二人とも在宅ワーカーであるため、お昼になったら二人でコンビニに行っておにぎり1個と焼き鳥を買って食べる、仕事中疲れたら猫の体に顔を埋めてHPを回復するなど、

数年前の自分たちが見たら信じられないような穏やかな暮らしをしています。

 

一応断っておくとこれは決して自慢ではなくて、

この段階に行くまで本当にお互い苦労し、時には喧嘩し、それなりの努力と時間をかけてきました。

 

それに結局二人とも働くことは大嫌いなので、働く量と年収を減らして気ままに生きるか、現状の年収をキープすべきかでいまだに会議が開かれます。

 

私もフリーという都合上、今は自分の「若さ」や「体力」でなんとかしている部分があり、この先年収のキープは難しいなとも感じています。

 

まあそれはさておき、私たちがどうやって年収を上げてきたかを紹介していきますね。

大学生時代

当時の収入

私:時給800円くらい

嫁:時給800円くらい

 

私はスーパーの店員をしていて、仕事が究極に楽でした。

レジを打ったり裏口からペットボトル運ぶだけの仕事だったので、「なんて良い職場に入ることができたのだろう」と毎日喜んでいました。

ただ私はずっと立っているとすぐに足の裏が痛くなってしまったので、将来は絶対声優になって立ち疲れしない働き方をしようと決意しました。

 

嫁はデパートのケーキ屋の販売員やアパレルショップの店員をしていました。

ケーキ屋の方はあまりの激務でトイレに行く暇すら無く、嫁はよく膀胱炎になっていました。

服屋の時は比較的穏やかでしたが、女性の多い職場だったので人間関係のあたりがなかなか大変そうで、

私としては、女の人はある程度男がいる職場の方が立ち回りやすいことがあるのかもしれないと思ったりしました。断言はできませんけど。

嫁はケーキを食べたり可愛い洋服を着ることが大好きな女子大生でしたが、これらの経験をすることで、「将来はもっとコスパが良くて座ってできる仕事をしよう」と決心したそうです。

 

時は流れ就職活動の時期になりました。

 

私は親に大量のお金を出してもらい、声優養成所に通いました。

半年ほど訓練を受けましたが、びっくりするくらい自分に声優の才能が無いことを思い知りました。

一応所属オーディションは受けましたが、案の定自分は落選。それどころか素人だった後輩の女の子が選ばれてめちゃくちゃ情けなくなりました。

 

その一方嫁は堅実に就職活動を開始し、すぐに内定を取って少し大きなIT企業に入社しました。

IT企業を選んだ理由は、

・女じゃ稼げる仕事が限られる
・立ち仕事したくない
・将来は子育てをするためにリモートワークができそうな仕事がしたい

こんな感じでした。

 

その頃私は、自分が声優にならない人生を考えていなかったためどうしていいかわからず、お正月から就職活動を開始して適当な会社に入りました。ギリギリ4月に間に合ってほっとしたのを覚えています。

 

新卒時代

無事就職先を決めた私たちですが、ここで嫁…当時の彼女がこう言います。

 

「私もこれから20代中盤になるから、中途半端な付き合いはできなくなります。

だから1年同棲してみて、それで今後付き合っていくかを判断させてください。」

 

私は「おっ そうだな。」と軽く返事をして二人で暮らす物件を探し、埼玉県にある駅チカの素敵なマンションを借りました。

 

家賃は11万円で、二人で割り勘すればたったの5.5万円で済むため、「共働きだと少ない家賃でこんなゴージャスなマンションで暮らせるんだ!」とはしゃいでいました。

その後まさか5.5万の家賃すら苦しくなるとも知らずに…

 

さて、当時の収入はこんな感じ

 

当時の収入

私:月収20万円(残業代なし ボーナスなし)

嫁:月収20万円(残業代あり ボーナスあり)

 

まあ新卒なんてこんなものでしょう。

今思えば地獄のような低賃金ですが、当時の私たちは「アルバイトよりいっぱい稼げてすごい!」と言ってはしゃいでいました。はしゃぎすぎ。

冷静に考えたら5連勤してるんだから稼げて当たり前ですよね。

アルバイターだったときは「あー3連勤ダリィわ」とか言ってたのにナチュラルに5連勤させられてるなんて社会って本当に怖いですよね。

 

さて、お給料が20万円もらえて喜んでいたのも束の間。

私たちは次第に仕事のストレスにもみくちゃにされていきます。

 

特に私は本当に労働に対しての耐性が無く、さらに絵に描いたようなパワハラ上司に毎日徹底的に絞られ、わずか半年で会社を辞めてしまいました。

 

彼女は一応仕事を続けてはいましたが、私と同じくパワハラ上司の元で毎日雑用をこなしていました。

本当は女でも稼げるようWebデザインやプログラミングを覚えたかったのに、振られる仕事は雑用ばかりと、かなりストレスのたまる毎日を過ごしていました。

 

第二新卒時代

当時の収入

私:0円

嫁:月収20万円(残業代あり ボーナスあり)

 

無職になった私は、なんとか5.5万円の家賃を捻出するために静岡のおじいちゃんの家に行きました。

11万円の家賃を月収20万円の彼女だけに払わせるわけには行きません。

 

「父ちゃんと母ちゃんには大学費や声優養成所費を払わせてしまいました。

もうこれ以上両親からお金をもらうことはできません。

おじいちゃんのお金を分けてください。」

 

私は頭を下げながらそう言ったのです。

するとおじいちゃんは

 

「お金はあげる。その代わり死ぬまで会いに来てくれ。」

と言ったのです。

 

要は「孫を会いに来させる以上お金は払わなきゃいかん」とのことでした。

この時のおじいちゃんの言葉は現在私にすごく染み付いていて、

この日から人にお願いをする時は友人だろう親族だろうと必ずお金、またはそれに代わる物を渡すようになりました。

 

さて、おじいちゃんからもらったお金を蔑ろにするわけにはいきません。

お金の無い私は、お金を絶対に有意義なことだけに使わないといけない。

ここで初めて私は、「お金でお金を買う」ことを考えるようになりました。

 

ということで始めたのです。

FXを。

 

次の就職先を探しながらおじいちゃんのお金でFXをしました。

自分で書いててもびっくりするくらいのクソ人間ですね。

案の定私は大量のお金を失いましたが、意外なことにこの経験ができたことはかなり良かったと今では思っています。

 

確かに15万円ほど失いましたが、もし30代、40代と、ある程度収入がある状態で同じことをしたら15万円じゃ済まない損害を被っていたことでしょう。

 

そして手元のお金が尽きた頃になんとか次の就職先(適当に選んだIT企業)を見つけたのですが、

ここでも働き続けるのがしんどくなり、わずか半年で退職してしまいました。

 

信じられないくらい仕事がつまらなかったです。はい。

 

社会人2年目時代

当時の収入

私:月収20万円(残業代なし ボーナスなし)

嫁:月収20万円(残業代あり ボーナスあり)

 

社会の荒波に溺れた私は考えに考え、

「お金持ちになるのは諦めてとにかく楽しい仕事を探そう」

と決意し、グラフィックデザイナーの職に就きました。

社員たったの6名という超中小企業で、お給料は相変わらずの20万円でした。

 

FXの件もありお金のことについて深く考えるようになった私は、

収入を増やすより支出を減らす方がカンタン

ということに気付きました。

 

携帯はソフトバンクから格安SIMに変え、私服もスーツもGUで買うようにし、

さらに引っ越しをしてオンボロなアパートへと住処を移しました。

家賃は7万円のため、彼女と割り勘して3.5万円ほど。

 

10万円のアパートの時より1.5万円も自由に使えるお金が増えました。

 

一方彼女はパワハラ上司のことを役員に伝え、なんとか部署を変てもらいました。

そして新たな部署で彼女はあるスキルを身につけます。

それはSQLと言います。

 

大量にある情報を自在に操作するテクノロジ〜で、地味で知名度も低いのですが、

このスキルが今後の彼女の年収を大きく変えることになります。

しかしお給料は相変わらずの20万円です。

 

社会人3年目時代

当時の収入

私:月収21万円(残業代なし ボーナスなし)

嫁:月収30万円(残業代あり ボーナスあり)

 

なんだかんだ毎日楽しくグラフィックデザイナ〜の仕事をこなしIllustratorやPhotoshopのスキルを身につけた私は、

スキルを金に変える力の重要性に気付きます。

やはり毎月20万円しかもらえないことは経済的に厳しいのです…。

 

「だったら会社以外の仕事をして金を稼げばいいんだ!副業だ!」

 

インターネットで稼げそうな仕事を探しまくり、

ライティング、画像加工、バナー広告作り、宅録ナレーター、せどり、アフィリエイトブログ、株式投資、仮想通貨、プログラミングなどなど、様々な副業を試しました。

時には怪しいネットワークビジネスに20万円を騙し取られそうにもなりました。

 

ちなみに色々挑戦して一番手応えを感じたのはまさかの「宅録ナレーター」でした。

あとは「イデコ(確定拠出年金)」と「NISA」ですね。

他はセンスが無さすぎて全然上手く行きませんでした。

 

ということで、私は宅録ナレーターで毎月1万円稼ぐことに成功しました。

 

その頃彼女…この頃は結婚して嫁ですが、いよいよ低賃金に我慢できず転職をしました。

ここで衝撃だったのが、転職したら月収が10万円も増加したことです。

 

私はいくら転職してもちっともお給料が上がらないのですが、嫁は最もカンタンに上がりました。

 

それは、お金が大量に動く業界で仕事をしているからに他なりません。

 

例えば私は文房具やスポーツ用品のディスプレイのデザイナーをしていたのですが、まずほとんどが紙製品な上に、文具やスポーツ用品から発生する利益って数百円から数千円なんですよね。

対して嫁は大手クレジットカードや大手ホールディングスの情報をSQLで操作する仕事をしていたため、数百万から数億円規模の業界に身を置いていたわけです。もらえるお給料が桁違いになるわけです。

 

私のいたデザイン業界では、文房具やスポーツ用品からちょっぴり発生した利益の一部を私にお給料として渡すことになるので、毎月20万円貰えたらかなり良い方です。

 

嫁のいる業界では1日に何百万と売り上げを立てている利益の中から、月にほんの30万円をいただいているだけ。

会社としては、もし業績が上がればそれを35万円に増やしたり、たまにボーナスをばら撒いたりもできるわけです。

 

デザイナーという仕事が決して悪いわけではありません。

何をデザインする業界に身を置くかで、同じ仕事でも給料に大きな差が出るのだということに気付いたのでした。

 

社会人4年目時代

当時の収入

私:月収21万円(残業代なし ボーナスなし)

嫁:月収35万円(残業代なし ボーナスなし)

 

毎日楽しくデザイナーのお仕事をしていた私ですが、とうとうお給料に限界を感じ、転職を決意します。

 

以前色々な副業に手を出して失敗した私ですが、その中でも唯一、「プログラミング」には大きな可能性を感じていました。

 

というのも、プログラミングを勉強してみるとわかるのですが め ちゃ く ちゃ 難しいんですよね。

つまり、難しいことだからこそ大量のお金が動くということ、そして嫁の年収が簡単に上がったのを見て、IT業界を目指すのが得策だと感じました。

 

ちょっと前は私も「楽しければお金持ちにならなくていいや」とか思っていたのですが、

ボロいアパートで暮らしていると夏は暑くて換気扇から虫が入ってくるし、夜は隙間風がすごいしシャワーの勢いが弱すぎて全然体が温まらないしで、年齢を重ねるごとに厳しい環境で暮らしていることで負うダメージが増加していきました。

 

あったかいマンションで暮らしたい…!

 

そのためにはせめて家賃を9万円払えるくらいにはお金持ちにならないといけません。

 

だから働くのは嫌いですがお金が無いと生きていけないので、諦めてプログラミングを必死に勉強し、IT企業に入社して修行を積みました。

ちなみに給料は上がりませんでした。

 

嫁は転職して年収を上げることに成功したものの、女性だからという理由でまた雑用ばかりさせられ、わずか半年でベンチャー企業に転職し、さらに月収を35万円へアップさせました。

(あとはたから見てて思ったのは、どうも嫁は気弱なせいか女性社員にいじめられやすい体質らしく、男性が多い職場の方がやっぱり人間関係がうまくいっているなという感想です。)

ここまで素早く年収を上げられたのも、SQLという技能を身につけ、レベルを上げていったおかげと言えるでしょう。

会社側としても、育てる手間が無くてすぐに仕事をしてくれる人材なら、いっぱいお金を渡したいということなんですね。

 

現在

当時の収入

私:月収40〜50万円(残業代なし ボーナスなし)

嫁:月収45万円(残業代なし ボーナスなし)

 

突然私の月収に確変が起きました。

今まで会社から20万円しかもらったことが無い私の口座に、最初は30万円、しばらくして35万円、今では40万円が振り込まれています。

あとは細々続けていた宅録ナレーターも軌道に乗り、固定のお客様からお仕事がもらえるようにもなりました。

 

というのも、IT企業を辞めてフリーランスに転身したことが理由で、企業から依頼をダイレクトに受けて仕事をしているためお給料が高いのです。

報酬額が高い代わりに1年程度働いたら契約が終了してすぐに働き口を探さないといけませんので、やはりそれなりのリスクはあるなと感じます。

 

嫁の方も着々と会社内で評価を上げていき、正社員としては破格の月収になりました。

ただ嫁の給料でもまだ低い方らしく、お金ってやっぱりあるところにはたくさんあるんだなあとしみじみ思いました。

 

そしてコロナの影響もあり、今では毎日家で二人でリモートワークをしながらたまに世間話をしています。

 

未来へ

年収が上がってよかったよかったと思いきや、まだまだ課題は多く残っています。

 

まず私ですが、プログラマーになって年収を大幅に上げることに成功したものの、私個人にはプログラマーとしての才能は一切無く、35歳くらいからだんだん雇ってくれる場所が無くなっていくことが予想されます。

現在は20代のフレッシュさと将来性でなんとか仕事にありつけていますが、このままでは危ないです。最近年下と仕事をすることが増えているので日に日に怖くなっています。

 

次に嫁ですが、能力の低い社員の尻拭いをすることが最近多いらしく、また転職したくなってしまっています。

 

労働に縛られる限り私たちに平和は訪れません。

そのため、最近は二人で不動産投資の勉強をしています。

 

いつか大家さんになって、家賃収入だけで暮らせないかなと切実に思っています…

 

ではでは

 

 

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ABOUT US
西山はるか
会社員だったがうつ病で退職。 そこからなぜかプロナレーター・声優に。 しかしこれだけでは食っていけないと思い絵もデザインもド下手なのに経験者というハッタリをかまして、見事グラフィックデザイナーに転身。 その後さらに収益をアップさせるためにフリーランスエンジニアにジョブチェンジ。もうめちゃくちゃである。