発達障害は遺伝する 〜思えば親もブっ飛んでいた〜

西山はるか
思った以上に良い反応がいただけて驚きました・・・!

先日自分の発達障害を告白する形でブログ記事を1つアップしてみたのですが、思った以上に良い反響がいただけて驚いています!

自分の人生を振り返ったら明らかに発達障害者だった件

ツイッター上だけでなくダイレクトメッセージでもたくさんご連絡をいただけました。

中には「8月で会社クビになったんでしょ?飲もうよ」などの連絡もありました。

いや、クビになるの9月だしそもそもクビになったところで次の現場に移動になるだけだし・・・笑

あと、一番嬉しかった感想が

「面白くて笑った」

というものでした!

やはり「脳に障害がある」なんていうと大変デリケートな内容かと身構えてしまうかと思うのですが、私は別に同情してほしいなんて思っていませんし、自分のポンコツさを嘆くよりは笑いへと昇華してしまうほうがずっと有意義だと思っています。

というか私が自分で自分の人生を振り返って笑い転げているくらいなので、何も悲観的になっていません。

何も悲観的になっていないからいつも会社クビになるんですけどね?

残念ながら発達障害の私にとっては人生はネタでしかなく、薬を処方されたときも「しめしめ ブログのネタにしちゃうぞ」なんて思ってニタニタして受付のお姉さんにドン引きされました。綺麗な人でしたよ。

さて、私がなぜ発達障害なんてものを抱えているのか考えてみたのですが、明らかに原因は父にあると思います。

発達障害者である父から完璧に遺伝したのです。

私もよく周りの人から「ヤバいよね」「なんでそんなに頭おかしいの?」なんて言われることが多いのですが(泣けてきた)、私がおかしかったら父はもっとおかしいだろってくらい父はおかしいのです。

ここからはエッセイ風に文体を変えますねwwwwww

物心ついた時には離婚していた

やはり幼い頃の記憶というのは曖昧なもので、3~4歳くらいまでしか遡ることができない。

そのなんとか辿れる一番過去の段階で、私の父は母に振られて父ではなくなっていた。

それでもなぜか家にはちょくちょく来ていて、私はよく、「ちょっと前まで父であった今は別のナニかであるおじさん」とアニメを見たりして遊んでいた。

なんで元父は私に会いにきていたかと言うと、「人間は6歳までに人格形成が終了するから」らしい。

要は元父は離婚された腹いせに6歳まで自分流の教育を息子である私に叩き込んで自分色に染め上げようとしていたのだ。

そんなマッドサイエンティストみたいな思想を持っているから離婚されたのだ。気付け。

果たして私は元父のこの作戦に見事ハマり、元父の大好きなガンダムにどハマりしてしまうこととなる。

よくアマゾンプライムなどの映像見放題コンテンツでアニメを視聴するのだが、ロボットが出てこないと興奮しないようになってしまった。まるでパブロフの犬である。※

※パブロフという犬にメトロノームの音を聴かせながら餌を食べさせ続けたらメトロノームの音を聴くだけでお腹が空いてしまうようになっちゃったという実験のことだワン!そういえば嫁にもロボットアニメをたくさん観せたので嫁もロボットが出ないと興奮しない体質になってしまったワン!調教成功だワン!

元父の「6歳までに洗脳作戦」は非常に徹底されていて、私が保育園に通っている最中に突然出現することもよくあった。

私が保育園の教室でみんなと一緒に絵を描いたりしていると突然バーンとドアを開けて現れて

「ガメラ2観に行こう!!」

と行って私を抱えて車まで連れて行くのだ。誘拐である。

卒園式の練習をしている時にも現れて映画館に連れて行かれ、ガメラ3を観させられたりもした。

ゴジラやモスラもしっかり学習させられたため、映画が終わり保育園に戻る頃には私は怪獣博士になっていた。ちなみに私以外保育園の友達は誰も怪獣に興味が無いので全く知識を披露することなく卒園した。

6歳以降も作戦は続いた

時は経ち、私には新しい父親ができていた。母が新しい相手を見つけて再婚したのである。

元父とは打って変わって明るい熱血漢で、サッカーと野球が大好きな人だ。母も良い相手と再婚できたようでよかった。

しかも旧父も新しい女性と交際し、再婚を果たしていた。

父も母も新しい人生を踏み出したのだ。よかったよかった。

と、思っていたが、旧父は私を溺愛していた。

新しい奥さんと静かに暮らしていればいいのにすぐに私のもとにやってきて

「劇場版ゼータガンダム観に行こう!!」

とか言って誘拐された。

なんでも、新しくできた子供がガンダムに興味を持ってくれなかったそうだ。

映画の他にもガンプラ、ノートパソコンや携帯電話など、男の子ならどう頑張っても抗えないガジェットの数々で私を誘惑してきたため、反抗することができなかった…悔しい。

「フロッピーディスクあげるからおいで」と言われたときもなぜ反抗できなかったのだろうか…。

父の不思議な行動は多岐に渡るが、特に印象に残っている事件が2つある。

1つは「授業参観事件」。

私が高校2年生の時、教室の廊下をキョロキョロしながら歩く挙動不審な男性が発見されたとのアナウンスがあった。

廊下側の窓を見ると確かに謎の男がノロノロと歩いているのが見え、普段下品に騒いでるウェイウェイたちもこのときばかりは息を飲んでいた。

するとその不審者、なんとこちらの教室までやってきて窓の外からじっと教室の中を観ているのだ。

「うそ…ヤバイ…」

クラスの女子たちが本気で怖がりはじめた。無理も無い。こんなの男の子だって怖い。

しかし私はここで気づいてしまった。「この不審者、よく見たら父さんじゃん。」と。

であれば私はすぐにこの事態を収拾しないといけない責務があるのだが、いかんせん私はクラスではぼっちだったのだ。

一年前、高校1年生の時にクラスの女子に告白して見事に振られ、挙げ句の果てには全女子に情報が行き渡り私はえた・ひにんのような扱いを受けることになってしまった。

そのため高校2年生からは思いっきりクラスを変え新たなスタートを切った。(特別進学クラスから進学クラスへグレードを無理矢理落とした)

スタートを切ったはいいが2年生になるとすでにみんな友達同士になっており、私は安定のぼっちになってしまったのだった。

で、そんなぼっちの私が不審者の息子だと知られたら一体どうなってしまうのか…えた・ひにんなんかよりもっと酷い存在…微生物かなんかと呼ばれてしまうのではないだろうか。

それが怖くてなかなか父を止めることができなかった。頼むから教室の窓から顔を半分だけ出してキョロキョロするのはやめてくれ。

そうこう悩んでいるうちに担任の先生が不審者の元に行こうとし始めたのでこれはマズイと思い、結局私は「頼むから消えてくれ父さん!」と叫びながら廊下に飛び出したのだった。

ちなみに父が来た理由は、「今日授業参観でしょ?」とのことだ。

確かに授業参観なのだが、高校生になるともう授業参観に来る親なぞどこにもおらず、全校生徒のなかで唯一私の父だけが来校したのだ。不審者と間違われながら。

担任にも自分の父だと説明し、混沌とした空気の中で授業が開始された。

授業中に父からちょくちょくメールが来た。

「右の席の子と前の席の子可愛いね。付き合いなよ」

という文面だった。ああ…この人はやく●んでくれないだろうか…。

授業が終わると「ガンプラ工場見学に行こうよ〜」と言ってきたが、行きたい気持ちを我慢しつつ父を追い返し、その日は終わったのであった…。

ちなみに次の日母が授業参観に現れた。どうしてうちの両親は私にこのような辱めを与えるのか。顔から本物の火炎が吹き出しそうである。

母は後ろの席でリプトンを飲んでいる男子に説教まで始めた。オフの日くらい学校の先生の仕事を休んでほしいものだ。そしてなぜか授業が終わる頃にはその生徒と仲良くなっていた。

さて、2つめの事件は「ドアの前で宿泊事件」だ。

大学生になった私はさすがにフロッピーディスクで誘惑されるような人間ではなくなっており、完全に父に会いたくない気持ちでいっぱいだった。

しかしいくら断っても「会いにいくから」と言い張り、とうとう私が一人暮らししているマンションのドアの前まで父は来てしまったのだ。

わざわざ静岡から埼玉まで車で来てくれた父を追い返すのは人間としてどうかと思ったが、心を鬼にして私は鍵を開けないことにした。

するとこの野郎、なんとドアの前に居座りはじめたのである。何時間経っても帰る気配は無く、ちょくちょくメールで「寒いから入れてよ〜」と送ってきた。不審者どころか犯罪者である。

不運にもこの日は私の家に友人が来ており、その友人とカタカタ震えながらロクに眠らず夜を明かしたのだった。

確認するといつの間にか父は帰っており、昨日から水道水しか飲んでいなかった私と友人は泣きそうになりながら近くの松屋に駆け込んで牛丼を頬張った。

この時の牛丼の美味しさを、ぼくは一生、忘れないのだろう…。

父は金持ち父さん

ここまで父のマッドサイエンティストな部分をほんの少し紹介してきたが、一応良いところもある。

完全に変態ではあるのだが、それゆえ個性的な部分が意外と女性にモテる。

私の母は職場でもカワイイと評判だったそうだが、その母を勝ち取ったのは背も低いし顔もそこまで良くない変態父だった。それに離婚したあともすぐ美人な再婚相手を見つけた。(まあ今の奥さんとも離婚寸前らしいが…)

あとは努力家である。

父は背も低いし顔も良くないし、頭も別に良くなかった。猫背で服もダサい。ちょっと絵がうまいくらいしかいいところが無い。(全部私に遺伝してる。やめてほしい。)

そんな少年時代を過ごした影響で大人になってからは猛勉強し、高卒で県庁の公務員になったり、たくさんの資格を取得したり、株式投資をしたり、不動産投資にも手を出した。

結果、たくさんのお金を持っている。

さすがに不動産用の建物を作るためにおじいちゃんの家を破壊したときはドン引きしたが。

そんな父から私は金融リテラシーを学ぶことができたし、おもしろい本を与えてくれたりもした。

人間性は完全に終わっているが、知識・知恵の部分だけで見れば「金持ち父さん」の理念を持つ優秀な父親である。

何より父は私に「発達障害」の研究レポートを見せてくれた。

実は祖父の家系の男性がほとんど発達障害の傾向があり、そのことにいち早く気付いた父は研究をはじめたのである。

祖父、父、父の息子、父の弟、父の弟の息子が発達障害の傾向があり、おそらく私にもその兆候はあるかもしれないと教えてくれた。

このときにその障害の存在を知れたおかげで、私は自分の個性にいち早く気づけたのかも知れないと今では思う。

女性は発達障害の発症確率が低いそうなので、「子供を作るなら女の子にするといい」とアドバイスをもらえた。

父(正確には祖父?)から遺伝した発達障害で私は現在非常に迷惑していて、子供にまで私のような苦労はしてほしくないので、これはとても助かるアドバイスだ。

 

そういえば最近父から久しぶりにメールが来た。(LINEはブロックしてる)

父の息子が大学生になったらしく、お祝いにiPhone11をプレゼントしたそうだ。

そしたらその場でゴミ箱に捨てられたそうだ

「年頃の男の子の気持ちがわからない、助けて」とのことだ。

iPhone11を捨てられるって相当ヤバいから早く自分の人間性のヤバさに気付いてもらいたい。

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西山はるか
会社員だったがうつ病で退職。 そこからなぜかプロナレーター・声優に。 しかしこれだけでは食っていけないと思い絵もデザインもド下手なのに経験者というハッタリをかまして、見事グラフィックデザイナーに転身。 その後さらに収益をアップさせるためにフリーランスエンジニアにジョブチェンジ。もうめちゃくちゃである。